皆が働かなくなってきている。前回指摘したようにその原因の多くは、これまでの日本の産業を支えていた伝
統的な仕事の仕方から、欧米流に変わってきたことにある。自動車業界における日産のゴーン改革等は、そ
の典型的なものであり、一時的には成果を上げながらも、本質的な競争力強化には至っていない。
またその効果も、日本流の経営風土があったからこそ、コミットメントを中心とした経営が機能したのであって、
この風土そのものまで否定してしまったのでは、その成功はなかっただろう。最近見られる過度の本社での集
中管理は、仕事の現場の活力を、著しく減退させている。
日本流の経営の特徴は“あんうん”の関係で人々が仕事をすることに代表されるように、“コミットメントしチェッ
ク”と云った類の仕事の仕方ではないだろう。またこのことが、“責任の所在が不明確だ”“仕事が徹底しない”
等の批判を受ける原因にもなっている。しかし、一概にこの批判か妥当かどうかは甚だ疑問である。
そのような批判をする人達は、“会社は給料を支払っているのだから、その代償として働くのは当然である”と
いう認識を前提にしている。しかし、これは欧米流の考え方で、日本流は上からの指示でも“納得しないと本気
ではやれない”という事情がある。どちらを選択するかは自明の理であるが、日本の管理者や経営者、または
本社等の所謂管理する側は、“指示したことを本気でやれ”ということを求めている。要は自分が指示したこと
が納得してもらえるかどうかについては、配慮もしていないし関心さえ持っていない。
指示される側は、“欧米並みにお金さえもらえば、自分が納得するかどうかは別問題”というほど、日本では割
り切が出来ていない。また割り切れない事情がある。それは、“それでは会社がうまくいかない”“もっとこの方
法のほうがうまく行く”という思いを断ちきれないことにある。
なぜならば、指示される側も、指示する側と全く同様に“会社をよくする”という同じ土俵上にいるからである。即
ち生活の基盤が会社の存続にあり、そのために長年働いてきた。これからも働こうとしている。上司の指示を
忠実に守り、その代償として給料を頂くなど考えて入社した人はいないだろう。
現在は、仕事は専門化されその変化も急である。そのため、これらのことを本社や特定の人で、一元的に集中
管理することには当然限界がある。さらに、その会社の成否に確たる責任も確信をもって指示を出しているわ
けでもない。要は、“俺の言うこと”“本社の云う事を聞け”と云うことの方が圧倒的に多い。
彼らの本来の任務は、他の人を管理し何をさせるかではではなく、“皆が力いっぱい働き”“しかもその働きが、
会社目標に向かって一糸乱れることなく統率出来ている”ようにするために、自らが何をしなければならないか
を、自己を管理することではないか。
“皆が仕事をしな”ということを無管理や終身雇用等の甘やかし的なことが原因で、もっと厳しく管理監督を強
化しなければならないと、何故そのような発想をするのだろう。このような発想は製造業の現在完全に精彩をな
くしつつある欧米流の管理を模範にし、それに追従することにどれほどの意味があるのか?言うまでもなく、そ
れは今までの我が国の強みを薄め、競争力を欧米並みにするばかりである。このことを本気で反省し、新たな
組織づくりと運用に向かって、現在のマンネリ化した経営を改めなければならない。
以上
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