不安定だった気候も4月に入ると、さすがに暖かい日が続き、あたり一面、満開の桜によって覆いつくされている。毎年のことながら、この時期になると、新たな生命の芽生えを体内に感じる。また一方、墨字で表書きされた、白い封筒が郵送されてくるのも、この時期である。
その中身は、昇進、転任等、新たな活躍の場への転身、また退任等様々であるが、その中には、何故この時期に退任しなければならないのかと、残念に思うものが数通ある。その退任の理由の多くは、年齢的な問題であるが、稀には派閥的な左遷と勘繰りたくなるようなものもある。
その理由の妥当性はともかくとして、その会社では貴重な存在でありながら、あっさりと辞令が発令されている。仕事の現場の状況とは、まったく異質のものとしてしか映らない。事実こんな人事が依然として行はれていているかぎり、厳しい世界の市場を、生き抜いていくことは難しいのではないだろうか。
要は、人事権を行使する人や部署人達には、現場の実情やそこにおける人々の働きの大切さを、全く理解していなことに起因している。その職位を誰が担当するかは、それ程重要なことなく、ほどほどの人を割り付け、その職位を維持することの方に重点があるように思える。そのため、任命された当人も、また周りの人達も、仕事上の変化を期待していない節が多分にある。
考えて見れば、それなりの上位職への異動は、仕事上でさらなる働きを期待するより、長年の功労に報いるための風潮が強い。特に役員になることは、多くの人達の、重要な目標の一つであろう。そのため、その職位に伴う職責を積極的に遂行する気分より、やっと辿り着いた職位に、長年の思いを達し得た安堵感の方が強い。
このような傾向の問題点は、これまでの会社業務がそのまま維持停滞し、これを改善するための活動が始動していなことにある。かっての後進国の急伸等によって、世界の諸環境は急激に変化してきている。この変化に適合出来ないことは、自らの生きる道を閉ざすことになる。生きていくためには、これ等の変化に追従するばかりではなく、新たな変化を創出するくらいの意欲もった、経営革新が必要である。
その革新の先頭に立ち、リーダシップを発揮することが、我が国の多くの企業に求められている。それを直接担う職位は言うまでもなく、経営を担当する役員クラスであろう。それを全うできるような経営感覚、行動力、人望を兼ね備えた人材は、稀にしか見ることが出来ない。
このような貴重な人材が、月並みな年齢的な制約で活動の場を断たれていく状態は、早急に改めたいものである。そのために、現在経営の職位にある人達が、現状の停滞を傍観することなく自ら立ち上がり、改革の大きな波を起こすことが必要であろう。このことは、会社を守るばかりではなく、自分の進路に横たわる、定年の壁を突破する道でもある。 私の身近なところでは、すでにこのような事例が珍しくなくなってきている。
以上
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