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発行者 株式会社岩城生産システム研究所 編集者 有限会社IPSインターナショナル |
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平成18年03月01日発行 第015号 | ||
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「岩城生産システム研究所NEWS」第15号を発行させていただきます。 今回はS社・渡邉敏美様のコラム「抵抗勢力は私だ(前半)」及び 弊社・岩城宏一のコラム「勘違いの無駄・5」を掲載させて いただいております。 業務統括部 |
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S社 第二製造部 渡邉 敏美 様 |
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私は岩城先生の生産革新指導を2001年1月よりご指導頂いております。今回、機会を頂き指導会の現場の状況と合わせ 記してみました。 当社が2002年1月より全グループで生産革新をスタートする1年前、当時、子会社のT社在職中よりご指導頂いております。 工場はT工場(新潟県津南町)・M工場(長野県栄村)の2箇所で操業していました。 当時は、SMT実装基板・入出力装置組立て等、本社生産高の60%を担当しており、本社・地域に十分貢献していると自負 していました。 私 「社長!T社は子会社ですよ。まず生産革新は本社から導入すべきでしょう」と反対しました。渇して抵抗しながら、 生産革新はスタートしたのです。 【2001年1月指導会初日】 岩城先生 「工場を一巡しながら、渡邊君この実装機ラインのレイアウトを変えなさい。この入力装置の組立てラインを半分に しなさい」 私 「え・・・」いきなり何を言われているのか、全く解らなかった。 当時工場は、品物・台車が溢れ、2Sも出来ていない、物の流れも通っていなかった。 その日のうちに、現状レイアウト図から変更案の作成まで、リーダー・課長と[彼らの反対勢力]と激論しながら、明け方まで 掛かって工場レイアウト図を完成させた。 翌日、アシスタントの松岡さんにアドバイスを受けて、レイアウト図が更に改善された。そして、いよいよレイアウト変更が実行 に移された。 【2001年2月指導会】 私 「岩城先生、月一度の指導会では駄目です。もっと頻度を上げて下さい」と提案した。 自立して改善出来る所まで到達するには意識も能力も低かった。 岩城先生 「松岡さんに来てもらいなさい」 そして補強指導会の形で毎月2日間指導日を増やした。2月の大雪の中、JR越後湯沢より峠を越えてバスで来て頂いた。 それから革新がスピードアップした。 【2001年3月指導会】 岩城先生 「この包装材のストアは何処なの」と聞かれた。 私 「工場外の倉庫です」 当時、外部に倉庫(賃借)を5箇所持っていた。 岩城先生 「よし、見に行こう」早速すべての倉庫を見られた。 岩城先生 (巡回しながら)「これは何時使うの、何時購入したの」 私 「今月の計画品です、先月の余りです、計画がキャンセルになった物です」担当も含め、随分言い訳をした。 岩城先生 「来月までに半分にしなさい。今、今日使うものがあればいいんだ。捨てるんだね。」と、平然と言われた。 私 「え、そんな事をしたらラインが止まっちゃいますよ」 岩城先生 「止まっても全然怖くない。問題が見えて、改善していけば良い」 次の日から自社トラックで何回焼却場へ運んだ事か。 【次の指導会】 当時、ライン短縮・改善が進み工場内に部品ストアが設置でき、外部倉庫は2箇所に減っていた。 岩城先生 (M工場の倉庫を見て)「ここはもう閉めよう。渡邊君、釘を打ってしまいなさい」 私 「え・・やっとMの工場も一箇所にしたんですよ」 それから一週間毎日「このドアに釘を打って閉めるぞ」と言い続けた。そして実行した。その時の担当者達の抵抗は今でも 思い出す。 【指導会クローズミーティング】(秋) 岩城先生 「私がジェコー且梠縺A山の中にあった工場にトヨタの人を案内した。その時に、こんなすばらしい所にすばらしい 従業員が働いて居ると感動して帰られた。ここもすばらしい工場に必ず成ります」とおっしゃられた。 T係長 「岩城先生、今度ここに泊って私たちと一杯飲みませんか。ここには、八海山・久保田・〆張鶴といったお酒があり ますし、地元のきのこでいかがですか」と提案が出た。 岩城先生 「うん、いいねー、僕は肉を買ってくるから皆でバーベキューをやろう」 当日は雨でしたが食堂で岩城先生、松岡先生と女性従業員も含め夜遅くまで懇親した。また、二次会まで女性従業員達と 付き合って頂いた。良い思い出である。 2002年1月 親会社への統合が決定し、指導会を3月まで休止した。 また、2002年1月、親会社グループの全社に生産革新活動が開始された。 2002年グループの経営の変化により3月を以ってT社は閉鎖、S社への統合となった。 200人の従業員に苦渋の決断をお願いし、希望者120人には本社へスキルと共に協力願った。現在も有数の豪雪にも関わ らず通勤してもらっている。 2002年3月末までに移管を完了した。 一部、本社に入り切らずに出力装置組み立ては本社から300Mの所に工場を借りて操業せざるを得なかった。 次号に続く・・・ |
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岩城生産システム研究所 岩城 宏一 | ||
― 勘違いの無駄・5(派遣社員) ― |
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或る生産工場での風景である。一つの生産フロアーの中に、作業服の異なる集団が何組か入り込み仕事をしている。しかも 彼らは申し合せたように、皆な無口で無表情である。時間終業時間になると、その幾つかのグループは、作業服の色ごとに 纏まって大型バスに乗り込み、相変わらず無表情のまま、何処となく消えていった。これは言うまでもない、日本全国から集まっ てきている、人材派会社の人達である。このような風景は、現在ではそれほど珍しいことではなく、日常的なものになっている。 これも、固定費の変動費化を狙った結果として生じた一つの現象であろう。しかしこれ程までに組織的に、しかも大規模になっ てくると、前号で取り上げた社内請負とは別な意味での問題を感じる。 小規模の請け負いや人材派遣は、その工場所在地の近傍の人達が多く、その工場を社員と同じように、自分達の定住的な 働き場所としての自覚が強い。しかしバスで運ばれてくる若者たちは、今働いている工場は定住の地ではないばかりではなく、 彼らは永久に安住の地を持てない仕組みの中で働いている。この最大の問題点は、“皆と一緒になって、この会社を良くしよう” とする活動に参加出来ないことにある。 同じ派遣社員でも、地元から通っている人達と異なり、彼らは異様に無表情で精気を感じない。本来ならば彼らの多くは会社 に採用され、そこの社員としての定住地をもち、皆と一緒になって、会社を良くしようとする活動に、彼らなりに自発的な活動が 出来たはずである。 私は彼らが素晴らしい力を秘めていることを知っている。仕事上のアドバイスをしてみると、はじめは無愛想な彼らも打ち解け、 まわりの若者たちとすこしも変わらない。 定住地を持たないことは、経営への参加への道を断ち、若者たちの働く意欲を削ぎ、無気力な生活を強いることになる。 これは大きな社会的な損失であり無駄である。またこのような雇用の広がりはゆゆしき問題であろう。 固定費は経営活動にとって負担ではなく、その直接的な推進力であり武器である。従ってその多少が問題ではなく、機能的 に生かされていることが大切であろう。“固定費を生かす”ことこそ経営者の最も重要な任務であり、その成否が会社の生命力 を支配する。 以上 |
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